「おぼっこ」五周年記念特集号(昭和41年10月20日発行)復刻版






断層
五代目会長 富田忠征

 芋虫はゆっくり動く。芋虫は静かに動く。芋虫はヌヌヌ、ヌヌヌと動く。満月は昔のことだ。芋虫は休まずに動く。夕やけは秋の中にある。芋虫は空を仰いで動く。木の葉が淋しく散っていく。芋虫はひとつの小技を動く。遠くの川に血が流れ、空に五つの陽が昇る目のない魚が住もうとも、月にうさぎがいなくとも芋虫は芋虫でしかない。そして芋虫だけが芋虫である。

 ひとつの山を越えたとき、向うに山が見えてきた。ふたつの山を越えたとき、谷間に川が光ってる。「オイ、オイ、これはお前の川かい?」木の葉がたまって浮んでる。悲しくなってきいてみた。木の葉隠れの陽が映る。「オイ、オイ、そこの旅の方、傍に泉が涌いてるよ。」立木は杉の大木だ。短い針の指すところ、清水がふっと湧いていて、緑がリンと光ってる。泉はひやりといい感じ。のどがゴクンとなったとき頭は水の中にある。

 人間の最も大切な、少くとも導入の期に大学入試と云う実につまらぬ風が吹く。風に舞い上った奴凧の知っている事は、地球が丸いと云う全くつまらぬ事だ。恋人の心が、「√18×007+2」だといって喜んでいる。大学の鋏はプツ、プツ糸を切るだけだ。糸の切られた奴凧は、今にも破れそうな薄っぺらな服をきて、風邪をひいて鼻水をながして、つまらぬ風にぶっ飛ばされて、わめきながら、泣きながら消えて行く。 つまらぬ風に飛ばされてしまっては、つまる命もつまらなくなる。つまる命がかわいそうである。つまる命を守るには人間が必要だ。人口密度の高い日本にいて人間が必要だとは何事だ。別に何事でもない、囲りを見ればすぐわかる。友の心は遠すぎる。遠すぎるなら近づけなければならぬ。近よって行かねばならぬ。

 皆んな谷間に下りてこい。こっちの水は甘いぞ。長い、長い首をのばして呼んでみた。のどの渇いた小羊が、どんどこ山を下りて来て、ざんぶり川に飛びこんだ。泳ぎを知らぬ羊なら、水を飲んだらさあ上れ。おぼれて死んではつまらない。水から上った小羊はこんどは寒いと泣き出した。それでは火をたけ、火をもやせ。たき木をひろってさあもやせ。あちらの落木はもえにくい。こちらに良い木がありそうだ。鼻の頭に汗が出て、汗をふき見上げたら、空に大きな円い月、再び空は秋の色。
 松の緑があった。紅葉があった。遠くの山は紫にかすんでいた。それより遠い山は青紫に遠くになるにしたがって山は青く、そして色はうすくなっていた。近くの山は赤紫にみえた。手前の森は松の緑と紅葉とが互いに美くしさをほめたたえ合っていた。晩秋ではなかった。秋は半ばを過ぎていた。しかしのどかさをもっていた。これから晩秋になろうとしているようであった。でも一部の木の葉は散っていた。静かな風に空しい音をたてて散っていた。のどかさの中にも覚悟が見えた。のどかさの中にいいしれぬ自然の鋭さがあった。
 人間は自然外のように見えた。人工は自然に対するもののように見えた。しかし田畑に働く人はやはり自然のひとつであった。田畑の人土はやはり自然の創造物であった。田園には金屏風が幾列にもならんでいた。その向うに青紫の山がすんでいた。

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