「おぼっこ」7号(昭和44年8月31日発行)復刻版


『副会長の記』

副会長 菅原 栄美子

 今年はおおいに苦労してやりましょうと、年のはじめの日記に記してあった。
 我ながら、捨身の精神で1968年をすごさんと決心したらしい。しかしこの決心も机上のなんとかなのか、なになのか、苦労もなにもあったもんじゃなく、まるで、一家の台所をあずかる主婦の如く火の車のような一年であった。しかしそれにしても主婦たるには足りないところが多すぎる。まず、貫禄はないし(身長、体重ともにね)グループ員の”よろず相談”にのってやることもできず、結局、私はどこで副会長の役目を果たしてきたのかしらんと思う。
 早い話、先輩たちをみてると、役員を終えると、なにか皆さんりっぱになったように感じたものである。実に役員を引き受けるとき、第一に考えたことは、一年後の自分の姿である。海のものとも山のものともつかぬものからの脱皮に、非常なあこがれを抱いて。
 今は野心を持ちすぎたせいであろうか、まるで自覚症状がないのである。でも、でもである、まるで自分の考えていなかったことに楽しさをみつけたのである。ものはためしというけれど、それがあんがいと、生きるよろこびとなることもなきにしもあらずといえる。
 今だにひとつの疑問がある。グループ員とは不思議なもので、たとえ何も考えなくてもクラブに存在せられる立場もとれる。しかし、役員、いわゆるグループの直接運営にたずさわるものは、英語の単語がわからないと、英語が理解できないのと同じように、細かなことまでも、考えすぎると思われることまでもひっぱったり、ひっくりかえしたりして考える。運営するものと運営されるものの区別がある。たしかに組織を運営するそこには運営者がいて当然である。我グループの場合、運営者が強烈にクローズアップされている。そうさせたのも、そうされたのも、お互いの責任であり、なんとかこのクローズアップを解消せんがための方法が欲しいと思う。
 中に入れば外が見たくなり、かといって、はなれるにははなれがたい、そんなユースホステルグループである。そして「先輩・後輩」でもあり「友だち」でもありえる。もっともリラックスしたクラブである。ときとしてリラックスさにのみこまれることもあり、そして積極性も大歓迎というクラブであるとオヤビンは思うのである。

(大役を果たして、ステキに問題提起する副会長オヤビンがいました。)

『アンケート』から
  
あなたはなぜあせるのですか? 

  • ぜんぜんあせらないよ。(越前満子)
  • 「エッ」幾つだと思ってるの、歳を考えなさい。歳を。(緒方信康)
  • なぜ、そんな露骨なきき方をするの?雪は降るふる、春も来る。(佐々木淑子)
  • あんやあ・・・そりゃあ、わかるでしょうよ。(佐藤要子)
  • 別にあせっているつもりはないのに、どうしてあなたの目にあせっている様に映るのでしょうか。(小林哲夫)
  • 「雪が降らないから」早く降らないと、去年の雪焼けも色あせるよ。(小笠原守男)
  • 僕はあせってません。まわりがあせるのです。(高橋義幸)
  • そりゃ君、「ハタチ」にもなって「・・・」じゃね。けれど君、右を見てごらん、そして左を 前を、後を・・・もっとゆっくり歩きたい。(石母田裕)
  • 中の人がまだ出ないから。(金子哲)
  • (昔のくせの)分別くさいことを言ったなと思った時非常にあせります。(菅原栄美子)
  • プライバシーの侵害である。親の遺せる美。自己のなせる技?(及川喜代文)

自分自身とかけて「・・」と解く、心は? 

・Hi−UniのHととく
 しんは固く、しかも高価。(緒方信康)
・レモンととく。
 熟れても甘からず。丸からず。(佐々木淑子)
・一流雀士ととく。
 チョンボが非常にうまい。(松本雄三)
・ガラスの器ととく。
 想像してみて下さい。(佐藤要子)
・夜霧ととく。
 あなたならきっとわかるはずです。手をそっと胸においてください。
 ほら、ぼんやりと浮かんで来たでしょう。自分自身とかけて、
 夜霧ととく心が・・・。それが私なのです。(小林哲夫)
・月ととく。
 後姿が冷たい。(小笠原守男)
・夜汽車ととく。
 先は見えぬが、進路は決まってくる。(高橋義幸)
・カマボコととく。
 木(机)かじりつき。(吉田保志)
・空気ととく。
 なくては非常に困るものなのに、あるのを無視している。(梅津俊行)
・荒野に咲く野菊ととく。
 さみしさ、苦しさにたえて、明るく強く生きてゆく。(宮田桃代)
・ハサミととく。
 きれる。(伊藤勝美)
・ロクムサイととく。
 オヤモナク、ツマモナク、コナク、ハンギナク、カネモナケレバ、
 シニタクモナシ。 (菅原栄美子)
・精密な機械ととく。
 狂いはないが、故障が多くて正常な状態が少ない。(三上潔)



『卒業生ぷろふぃーる』
 

 ここに記す十五名の男女はユースホステルクループの ”良さ”を発見し、それを四年間愛し続け、無事、聖人式 を迎えられた方々です。役員終了後も、ホステリング、総会、集会にアクティブに参加し常にクラブの指針となり、 ユーモアを巻き起し、我々後輩、敬意と謝意にたえませ ん。ここに、そのプロフィールを綴り末長く保存します。 尚、例により、このページに限り(?)表現の誇張・偏見 を全面的に認め、名誉段損、人権侵害等の民法、刑法上の責任は一切負わない事とします。(特に異性関係)御了承 下さい。

池田陸子さん(農化 元書記)
 集会、総会の片隅で静かに、ペンを走らせていたのがムッちゃんである。何?気がつかなかったって?だめだねェ、君は。彼女のように、地味な活動をしていた人が居たからこそクラブの資料が作られ、そこから伝統が生まれてくるんだぜ。

小笠原敏さん(機械 元企画係)
 四年になってからも本当によくホステリシグ、集会に参加下さいました。小笠原兄弟?居る所、常に名演戯と、高尚な言葉のアヤで爆笑が絶えませんでしたね。その反面、詩を読んだり、ギターをひいたりするなかなかのロマンチスト。そんなビンさんにあの人もひかれたんでしょうね。きっと。

小笠原守男さん(機械 元副会長)
 ミーティングならモッちゃんへ。全く彼のミーティングの才能は大したものである。その自然にかもし出すムードに、誰でも自然に 引き込まれ、もう後は笑笑笑。歌の方は大変な声量で、曰く「歌は魂の叫びである」。 ところで人を愛するってとても苦しい事 ですね。その後いかがですか。え?伊藤ゆかりの歌みたいにはいかないって。

緒方信康さん(電気 元副会長)
 初の渉外専任として、今日は東、明日は西と日本中? を行ったり来たり。集会では、渉外関係の事を熱心に報告。口調は論理明快。 四年になってからは休む暇もなく、諮問委員長を勤め、細部にわたる答申案を作成。この活躍は、ショウガイのよき思い出となるでしょう。ユースの女性を除いた(!)、岩大の女性で一番締麓なAさん と友達?だとか。とにかく精神的にも本当に男性的なお方でした。

栗山典子さん(甲二)
 優しそうな人でした。少し離れた所からクラブをじっと見守って いてくれました。寮生活の想い出はいかがでしたか。○○○ホー ルで、時折お会い致しましたね。一度お話ししたいと思いなが ら・・・。近況ご一報下さい。

佐々木淑子さん(甲二 元企画係)
 ユースが巨大化したのは、シュクちゃんに原因があるという説がある。彼女は清潔でした。物静かなふるまいをする人でした。そして美しい人でした。その為、ユースの男女比にアンバランスが生じ たのでした? 彼女の時計はホステリングの朝になると、決っていつも少し遅れるようです。先生になってからはお気を付け下さい。

小林哲夫さん(機械 元会計)
 誠実そのものの方で、下級生に対しては細かい所にまで気を使い、保守的?な役員の中で、常に進歩的意見を述べ、我等後輩の良き理解者でした。又、工学部学友会長等の要職を歴任し、何かと陰からグループの為につくして下さいました。全く深謝に耐えません。最近、積木を並べたり壊したりしているとか、お聞きしています。

高橋義幸さん(機械 元会長)
 大局的立場から理性的な判断、意見を常に持たれ、そのごりっば容貌と合いまって全く会長及び、インディアンの酋長にびったりの方でした。どうして四年生はそんなに仲よしで、学術優秀でバイタ リティーに富んでいるのか、その秘誌をお教え下さい。もう「卑屈」等と、ご自分を卑下するのはお止めになった方がよいのでは・・・。

佐藤要子さん(家政 元企画係)
 いつもニコニコ。特にちょっびりアルコールが入って、顔を赤らめた時の笑顔は本当にかわいらしいですね(失礼!)専門の技術をいかんなく発揮していただいたおかげで、山に行く毎に栄養失調が回復しました。あつかましいG員誰が来ても、暖かくもてなしてく れました。ごちそうになった奴!よくお礼を言っとけヨ!

加藤清毅さん(機械 元縱務部長)
 各種、実行委員長からスライドの脚本まで、幅広い知識を持ち、とに角キレる人でした。学術優秀な今年度卒業生の中でも、抜群の秀才で、就職先は超一流の某製作所。クラブと勉強を両立したとは正にこの人の事でしょう。クラブで急がしくて勉強できなかったと言う貴方、この人を見よ!(特に女性は見落すな。まだ遅くない。)

松谷篤郎さん(金屆 元企面係)
 ワンゲル派タイプのこの方。登山のチーフリーダーとして本当に信頼でき、女性も安心して山へ行けます。専門学科の名称にふさわ しい貴方が、四年になるや中国古典文化研究に熱中するとは:。 曰く「充実した夜が送れます」ジャラジャラジャラー・・・。 本当の彼は思索の深い方なのですよ。ご相談の方はどうぞ。

中野克彦さん(農化 元記録係)
 ワハハハ:と笑う貴方。本当の貴方はどんな方なのですか。文章を書けば「おぼっこ6号」に見られるごとく文学的素養を発揮 し、写真は焼付、引き伸し何でもOK。知れば知るほど深みを増す貴方。広い包容力の彼を求める貴女にびったりですよ。

細川浩美さん(甲一国語 元副会長)
「明るく生きる事が他人を幸福にするのなら、笑って過そうではありませんか!」
 ノンちゃんから、姉御、お呑へと、終始一貫したその人間愛とバイタリティーを持った活躍には全く敬服の他ありません。クラブ運営から恋愛相談まで助言、激励され大変にお世話に なりました。高校時代は内気な女学生だったとか。今後はその文才を生かして、志望のマスコミ界でご活躍される事をお祈り申し上 げます。
                ーーーノンちゃんを慕う下級生男子一同ーーー

渡辺俊三さん(機械 元装備係)
  「酒を飲め飲め飲むならば、日の本一のこの女を・・・。」酒を飲む時も、女性と話す時も背骨を曲げたのを、見たことがございませんでしたね。常に完璧なものを目指していたあなた、勉強とク ラブのことについて説教された後輩が何人いたことでしょう。で もね、あなたが、にやけっばなしになるのも遠くないでしょう、後輩一同楽しみにしておりますぞ。

福田正実さん(農工 元企画部長)
 「福田さんて留学生なのかしら?」 「うん、何でもインドネシアだとかといううわさを聞いたよ。」 (この会話に不信を抱いた筆者が調査した所、氏の故郷は北海道の旭川であった。)
「スタンツや司会が上手だと、上級生が言っていたけど。」 「星のフラメンコでその福田式スタンツを確立し、クリスマスでは ヒュッテ歌のアルバムで司会者として好演した。」「福田さんて本当は、すごくマジメな方みたいだけど。」 「いつも皆を笑わせているが、本当はそうらしいね。」

西塚義範さん(機械 元会長)
 昭和二十三年一月、北海道は夕張市の生まれ。昭和四十一年、北海道夕張北高を卒業。岩手大学機械科に入学と同時に、同袍療二十一室 に入寮する。
 同年五月、県寮連主催の合同ピクニックで、当時我グループ三年生のHさんにユース入部をすすめられる。その週よりユ ースに入部する。彼の入部により我グループの歴史が変った、と言っていいほど彼の活躍は目ざましかった。クラブ行事には一年の歓迎ピクニック以外はすべて参加。彼女はもちろん、マージャン、スキー、スケート、水泳、ダンス、パチンコすべてをこなしオールマイティ。二年前期には同袍寮文化部としてその行動力で活躍。   四十二年十一月より、我グループ会長となり、常に冷静な大局的意見を もって十五名の役員をうまくリードする。
 そんな彼に非常な運命が待っていた。父が失業したのである。四十三年の五月、多くのグループ員と友人が見送る中を、クラブの事を心配しながら上野行の急行で去っていった。新しく社会人としての道を歩むために。
  行動力とセンスの良さを、誰からも好かれる人柄を持った彼の事 だ、きっと力強い人生を歩んでいるに違いない。

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