「おぼっこ」4号(昭和40年3月25日発行)復刻版




『岩大YHGに寄せて』池田博士との対話から

岩手大学教授 嶋 稔

 「ユースホステルとはどういうものでありますかねえ。」
池田博士が私にこうたずねられた。
 「ユースとは若いということじゃから、わしらのような年寄りは入れてもらえんじゃろかと心配しとりますが・・・」
 なるほど池田先生は明治二十七年のお生まれ、その点から言えば若いとは申しあげられぬ。けれども和やかな童顔にたえず温かい笑みを浮かべ、ひょうきんな冗談をひっきりなしにとばして回りの者を笑わせるこの脱俗の学者に老齢のかげはみじんもない。水沢の緯度観測所長時代に、世界中の観測所から依頼せられて、世界の中央局長に選任せられ、世界の歴史に、いや宇宙の歴史に足あとをとどめるほどの重大な責任を荷われたときもまったくこの調子であった。
 「困りましたなあ。わしの一か月分の給料が外国からおであるお客さまの一日分の旅費と同じぐらいじゃから、おもてなしもでけんで肩身が狭うて・・・」
 淡々として物欲を離れながら、日本の学問的水準の高さを、世界の前に大きくクローズアップして見せたこの博士を、水沢市が名誉市民に推薦したのは至極当然のことと言わなければならない。
 「所長の仕事も終わったからにゃ、日本全国を漫遊したいと思うとりますが、宿屋がこう高うては歩けませんからに、ひとつ嶋先生にお願いして、ユースホステルにいれていただきましょうとこう思うとるんですがな。」
私は赤面して、
 「いやいや、私はそんな権限も何もないほんとの名前だけのJYHの役員ですが、池田先生のような方が、かりにもJYHに登録してくださればそれは協会の名誉と思います。」
と言ってから、
 「先生、ユースホステルの旅をひとりでなさるおつもりですか。」
と聞いてみた。
 「いや、老妻もいっしょです。あれにもずいぶん苦労をかけたが、どこにも旅行につれてやっておらんもんじゃから・・・」
そのときふと私はいたずら気が起こって
 「ここに一つ困ったことがございます。ユースホステルではその、アベック旅行に対して便宜を供給しませんので、おやすみになる部屋は奥さまと別でないと困るのでありますが」
今度は池田先生が赤くなって
 「これこれ年寄りをからかうものではありません。わしは何もそんな・・・」
大笑いになったが、実際のところ私は、池田先生のような方がユースホステルに関心を持たれたということそのことが、ユースホステルの進歩であると思ったのであった。
 孫のような若者たちがにぎやかに美しくキャンプファイアをたくとき、聖者のような老夫妻がそれを目を細めて眺めている・・・そんな風景が今後のユースホステルにあってもよいのではないか。
(講義では小倉百人一首をとうとうと謳い、わたしの卒論の担当で、岩手山の見えるご自分のお墓のあるところまで連れていって頂いた記憶があります。忘れがたい先生でした。)
 
 
 
四年生戯評ーーー「雲から降りた雲上人」

ーー
東西東西、この処ご覧に入れまするは、日頃、雲上にまします方々のヨシの
ズイからのながめにて御座います。わけのわからぬ、ユースという「ちのみご」をかくまでわけの分かった「おぼっこ」に育て上げし、功労の人々にて御座いますれば、我ら後輩、最大の敬意と最小のイヤミをもって言挙げする次第に御座い・・
◎内山さん(農化 白河)
    慙愧に耐えて詠める歌一首
 駄洒落言い、茶などたてつつ然ぞ住む
 世をうぢ山と人は言うなり。
片方さん(甲二 花巻南)
 我らカタガタ言うよりも、まずは名歌に耳傾けよ。曰く
 ”心しずかに話しかけると
  心しずかに答えて下さる
 それが僕には無性に嬉しい”   (ヴェルレーヌ)
鈴木さん(金属 古川)
 これなむ、古川出身の沈黙居士
 日頃学びし錬(冶)金術をば用いんと、日夜分かたず、「ぼんくら」に、通いつめども一度も、金に変わりしこともなし。
 さて亦、女人の手をとりて、踊りしあとのお茶一杯、誘わんものと想えども、飲むは、涙の苦杯のみ、あー、ワタスやっぱり〇〇にはむいてないんだなー。
(あんなこと言ってらあー)
照井さん(電気 盛岡一)
 十時寝て、六時に起きる。このお方、元は我らの会長さん。人格主義を掲げ揚げ、まだ下げ残る前髪を、左手(ゆんで)でチョコチョコ掻き揚げて、喫める煙草の煙をば、天井向けて吹き上げる。マジメマジメで通るけど、遊びの方は一通り、節度心得やる処は、さすが名家の四男坊、雑誌”心”を愛読しブルーバードを乗りまわす。やっぱりご立派です。
中島さん(金属 旭川北)
 先ずは肩書きその他を御覧あれ?
 自称、金属科(打てばひびくイヤミスト)
 自称、元公立情報局局長
 自称、元恋愛相談室室長
 自称、元IUYHG旭川本部本部長
 自称、四年間コンパ皆勤賞受賞
 自称、徹マン大会最優秀賞受賞
 自称、スタイリスト
 公認、元IUYHG副会長
 公認、岩手山二十数回登山記録保持者
 未公認、毎年毎年四年間四月になると初恋が出来、その度に失恋して来たと自分では信じているおかしなお方(恋愛相談室室長たる所以)
※ともかくGにつくした功績は人の等しく認める処である。
榛沢さん(機械 高崎)
 一、リンゴ数十コ
 一、ドンブリ二コ
 一、バナナ(?)
 これだけはホステリングの時でも忘れられません。IUYHG映画主演男優芸名「?」ご出身は高崎山?いえいえ群馬は高崎市です。愛読書は夏目のものとか、意外と照れ屋で亦、意外とさびしがりやと云うのは皆さんお分かりでしょ?
船山さん(智)(家政 福岡)
 我Gきってのロマンチスト(?)、亦、「アノサ、私ネエ」で始まり、「ソウカシラ」で終わる口説は、我々後輩を翻弄するのに十分である。他の四年生の女の方と同様、実習以来ますます貫禄をつけられた様だが相変わらず気楽に話して下さる。「アノサ、私ネエ、結婚の申し込みが多くて困ってるの」と言わせたい人ではある。
 
『アンケートより』

求めてもついに得られなかったものは?

・すべてがそうである。故にそれは”なし”と云わざるをえない。何となれば人は真に求めて得られないと考える故(山村)

・求めて得られなかったものを思い出そうとして思い出せなかったこと(緒方)

・完全なる純粋性(でもいつまでもその努力はやめない。しかし中途半端に純粋であることは罪ですネ)(呑)

・ない(かつて真剣に求めたものはなかったように思う)(小林)

人間とは何でしょうか?

・死なずに生きているもの、死んだら人間じゃなくて忘者(もうじゃ)なんです。報酬のない行為をなし得る動物であると断言する。(呑)

・何事も考え、自然を愛し、又愛されつつ憩いをもとめる、それが人間だと思う。(沢田)

・淋しさあってのぬくもり・・・それを知っているもの(松浦)

あなたの一番こわいものは何ですか?

・毛足(緒方
)(? 毛虫の間違いのようです。)

・疲れるのは勉強、しかし勉強した後の充実感、こわさをわすれるね。恐ろしいのはズバリ女性。女性はこわいですよ。(こんな事書いていいのやら?)(福田)

・「事実」(ヒューマンロストかな?)(富田)

・女性の涙(小笠原守)

・電気(福士)

・なし!(伊藤文)

・おやじさんとおふくろさんの涙、だから私は決して泣かせない。そう考える自分が(呑)

・もう少しで頂上につくという頃・本当にもうこわくてこわくて足が前にでなくなるものね (志田)

・医者と坊主(玉山)

・科学の通じないもの(佐々木淑)

・現実(見たくない!聞きたくない!知らなくたっていいもん!と、女の人)(松浦)
今後クラブでやってみたいことは何ですか?

・女性と男性の区別を見きわめること『野の百合を見よ』
思想の啓蒙 狭き門より(呑)

・高利貸し(水野)

・”やればやれる”でなんでもしてやるじょ シェー (田村)

・男性だけで旅すること(小笠原守)

・集会で綿アメをつくり皆に分けてやりたい(清藤)

・私がいかにしとやかな女性であるかということを、皆に知らせたいこと(八重樫和)

・なんとなく、コッソリ笑ってみたい、なんとなく、ゴメンナサイ(松浦)

『山YHらくがき帳より』

 オメ ハンゴロシンスッカ ンダネバトツテナゲッカ?
 (あなたは、「おはぎ」にしますか、そうでなければ「水とん」ですか。)

 次の日本語を日本語に訳してください。

 ファネエヘデ シフスケレネェへデ イズワ ウシテクダサイ
 (農作業に疲れつくしたジーチャン、バーチャンが、夕食の準備をする時、歯も欠け落ち、火を吹くことも出来ない故、町に出てウチワをほしさに語った言葉です
)

(奥中山YH落書帳より)


『おぼっこの仲間達』夢
(T4)照井邦彦
 
 夢か、かなわぬ夢か!私達はよくYH運動について議論し、日本のホステルに不満を抱く。私達は理想のYH運動を思いつつ、現在の運動に目を向けその不完全さを悲しく思う。運動の源泉ともなるホステルは日本に於いて主旨にはほど遠く思う。何とかして、理想のホステルはないものだろうか
 ああ、夢か?かなわぬ夢か!IUYHGホステル誕生の夢は!例え粗末でもいい、小さくて結構、我等が自分で設計し建築し、我等が理想の全てを結集して、YH運動の情熱を存分に燃やし、ホステラーと共に話し合い、日本のYH運動の理想の芽を育てたい。
 ああ、そんな日が来ないだろうか。今日から一人十円貯金したらどうだろう?皆んなバイトしたらどうだろう?岩山の下辺りどうだろう?ああ、夢か!後輩に抱せし夢ぞ!ヒコタン
(本当に夢でしたね。50年たって振り返ってみたら?


『おぼっこの仲間達』人類愛
(L3)田村洋子

 一年生で入会以来、今日までの三年間のクラブ生活で得たものを私自身の内部ににみるとき、『人類愛』ということばが浮かんできます。ことばをいちいち定義するなんて、とても悲しいことですが、人類愛とは?と聞かれたら、私は、最も広さを持つ愛と答えたいと思います。恋愛や友情の様に一対一にのみ成り立つのではなく、広く、あたたかく、すべてをふんわりと包み込む様な愛だと思います。
 我クラブには多勢の人間がいます。出身地、専攻、考え方もまちまちだけれど、みんなロマンチストで、若くて、気が小さくて、とってもにくめない人ばっかりです。これら純粋な人達の中でのあたたかな触れ合いの底に流れる、そして、ユースホステル運動そのものが求めるものが、人間信頼の人類愛だと思うのです。ロマンチストぶっていると思われるかもしれません。でも、せっぱつまった気持で、私は人類愛というものにすがりたいのです。
 人を愛するということ、そして愛そのものは、人間のする事の中では、あまりにも澄んでいます。その美しさの故に、人間は、愛を必要以上に美化したり、神秘のベールにつつんでしまっていると思います。愛するということは、真剣で苦しいものです。ある時期には、その重さ、その苦しさに耐えられず、メチャメチャに破壊しそうになりました。その時、クラブ内の或る人は、いじらしいまでに一生懸命なぐさめてくれました。またある人は同じ悩みに耐えている姿を静かに見せてくれました。そして、またある人は、何も言えずに眼に一杯涙をためて黙って私を見つめました。それらたくさんの友達に対して、私も素直に感謝の涙を流しました。クラブっていい所だとその時つくづく思いました。どんなにイヤだイヤだとダダをこねてみたって、やっぱりいいのです。善意が善意として受けとられ、そのぬくもりがはっきりと感じられるのです。こういう所だから、と希望がわいて来ます。でも広くあたたかく人を愛するということは、本当に漠然として限りないものです。頭の中の理論だけでは押し進める事の出来ない不安と、その対象の遥かさに時々くじけそうになります。けれども、もし、私が、今、誰かに「あなたの生き甲斐は?」と聞かれたら、ちょっと考えてから、「人類愛の探求。」と答えそうです。
(生き甲斐すなわち人類愛!、その書の作品に表れています・・草苑さま。)


『公式ホステリング』早池峰コース
(L1)細川浩美

 早池峰は岩手山のお妾だとか本妻だとか、姫神山とは三角関係だとか、よくはわからないが神聖な山々も、人界の俗考の前にひとたまりもない。しかし私は早池峰を彼女と呼び岩手山の妻とよぼう。
 我々一行15名、内女性4名のパーティは5月29日、このひたむきな霊山にいどんだ。彼女の容姿は決して見た目に感動を呼びおこすものではない。1914mの超高にかかわらず、猫背のせいか登れど登れど山頂は見えぬ。しかして良識のある妻にあるがごとく、彼女はつつましく頭をかくして、ただひたすら平凡、内気にその体を横たえている。6時、あるものは歌い、あるものは語り、あるものは只黙々と歩みつづけ”うすゆき山荘”に到着した。前方にやっと姿をあらわした早池峰山頂を望み、快い谷川のせせらぎを耳にホステル鍋はつくられる。さあ食事、そしてミーティング。この自給自足の作業は初めて、私に自由と責任と平等とを思わせたものである。
 一日が暮れ、翌30日はいよいよ山頂へ、7時半まず、ともすると行動を鈍らせる女性群4名とボディガード2名が出発。すぐ急な岩場がはじまる。流れに沿ってロッククライミングの感動?を味わう。雪にとざされて道がない?雪傾である。足をすくわれて一向にはかどらぬ。しかしこの変化に富む登山は一向をぐんぐん山頂にひきつけていった。途中で12名の男性を迎え入れ、一段と険しくなった岩場にすがる。
 一端、征服されると予想外に彼女、早池峰の秘めたる内助の功はすばらしい。山頂に近づくごとに、岩壁は女性の強さを物語り、広大な山並みとはるか東方には太平洋の蒼面が見わたせるというが、残念なことに海原は想像の域を脱してはくれなかった。なにしろ北は北海道の恵山、津軽の岩木・八甲田両山、秋田の男鹿半島、南は秋田駒、岩手・姫神はもちろん鳥海山にいたる山並みと、常陸の国は筑波山が見えるという前代未聞の眺望である。眉唾の方はぜひ一度登ってそのまなこで確かめることをお進めいたします。
 いまだ人力をよせつけぬ彼女は、山をこよなく愛す若者にのみ自然的、野性的美と数多くの伝説をもって感動を与えるのである。
 霧はとかれ、太陽の輝きが近いことが、又あたりを一層美しくしていた。嶺は一面の銀世界である。しかし山望は雪ではない。緑のじゅうたんが前後左右にしきつめてある。高山ならではの妙味である。頂上近くから発する清らかな流れは岩場をすべりおり、山荘の前を横切り、はるか北上川の流れに合流している。流れの音を小耳にはさみ、その流れに沿って登山するのもこれ又、早池峰ならではの一興である。
 山名の由来を・・・。嶺上に開慶水という霊地があり、干ばつに涸れず豪雨にもあふれることがない。しかしこの地は非常に不浄を嫌い、土地不案内者が知らずに手を入れて飲んだり、水鏡したりするとただちに水が涸れてしまうが、観音経を読経し、祈願すれば、たちまち湧出する。この涸湧の敏連なことから”早池峰の泉”といい、この山を早池峰というようになったそうである。又正確には語源はアイヌ語にあるとか・・・。
 すぐ近くに雪傾がある。山小屋で食事をおえて飛び出した我々は雪傾すべりに興じる。とびちる白銀、わきおこる快い微風に、すべてをわすれて戯れることができた。白い雪とまぶしいいばかりに輝く太陽、無限に青い空、今も胸に深く刻まれている。
 1時出発、それぞれの感動を山頂に残して、一行は下る。すべて雪傾の連続である。しだいにお尻、靴、ズボンに冷気がしみてくる。しかし楽しい。あまりに調子にのりすぎて、道をまちがった。やっとのことで正道をみつけると、そろそろ雪もない。歌声も軽く、岩間を飛び越える。雪どけの下り道の両端にもう春の花があちこちに見られる。白いエンレイソウ、あざやかなピンクのつつじ、うす紫のすみれ、山桜、山吹と・・・。
 最後にわすれずつけくわえたい花がある。様々な高山植物の中でも、特にこの山にのみ咲く可憐な花のことである。残念ながら我々はまだ見ることが出来なかったが、麗人のまとう白い毛皮の襟巻きのごとく、柔らかな銀毛を帯びたその小さな花の名は、ハヤチネウスユキソウ。「アルプスの星」「アルプスの花」と呼ばれるエーデルワイスによく似たその花は、登りくる若者にアルプスの峰々を連想させるという。朝露を帯びて透き通るように光り輝く慎ましやかな野性の花の美しさは、おそらく想像を絶することだろう。それこそ彼女、早池峰の身を飾り、彼女に唯一の内心的満足をあたえるアクセサリーであると言えるかもしれない。しかし、どんな宝石にもかえられぬ魅力を秘めた小さな花だという。
 又、川が白いしぶきをあげて我々と行動をともにする。4時半、沢に到着。登山は終わった。この虚脱したような感情をどう表現したらよいものかと、早池峰に限らず山に登るたびに私は考える。8時盛岡に帰る。5月の分散、早池峰コースの面々はこうしてそれぞれの家路についたのである。
 今、15名がユースに存在することを思えば、遭難はなかったようである。

  早池峰山嶺       宮沢賢治

 石絨脈なまめるみ 苔しろきが巌にして
 いわかがみひそかに熟し ブリューベル露はひかりぬ
 八重の雲遠くたたえて 東西はてを知らねば
 白亜紀の古きわだつみ なおここにありわぶごとし

(なんと、50年前そのすべてが若かったのだと思います。そして今も。)





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