「おぼっこ」五周年記念特集号(昭和41年10月20日発行)復刻版



思い出のホステリング
昭和40年卒 船山智子

 夕方の街、沢山の人が足早に通り過ぎていく。時間に縛りつけられ、仕事に追われたあと、やっと自分の自由に使える時間がくる。それが夕方である。右を向いても左を向いても人、人。疲れきった顔、ねむそうな顔、生気を失ったかのような顔と様々である。当然のことながら知った人の顔はみることがない。むしろしあわせかも知れない。疲れたような生気のない顔の知った人を見るのは嫌ですもの。そういう私も他人から見たらそう見えるかも知れないのですが……。知る人がないからといって別に感傷的にもならないのです。あきらめも加わっているのかも知れないしまた、そう思う前に私も帰路につくため雑踏の中を急いでいる一人なのです。その中で登山靴にキスリングという姿に出会うと、思わずかけより話かけたくなってしまう。この五月の飛石連休のある日、よくそんな人に出会いました。
 そしてこの時期になるといつも思いだす一つのホステリングが、今年も懐しく脳裏に浮かぶのです。それは・・・
 岩手大学ユースホステルグループ創立記念ホステリングです。場所は八幡平、ザックを背負い山に登るということは始めて。何もない。前日ザックをはじめ水筒、雨具などを買い求め準備する。当然のことながらザックの紐の結び方さえも知りませんでした。不安がないわけじゃない。しかし初めてのものに対する期待の方が大きく、いろいろ想像して勝手に楽しいことばかりを描いていました。第一日目は何事もなく八幡平のユースホステルで楽しい一時をおくり、ミーティングの終りのキャンドルサーヴィスは、なんと素晴らしかったことでしょう!真暗な中に一つ一つともるキャンドルの灯、心うつものでした。あの感動、あの時からこのキャンドルサーヴィスが楽しみでした。「きてよかった」素直にそう思ったのです。
 翌日八幡平の頂上をめざし歩きはじめたのです。はじめはなんでもなかったのですが、だんだん心細くなってきたのです。満足に歩き方さえ知らない。景色など全く目にはいらない。頭の中は、みんなに遅れないようにただ歩くことのみを考え、そして早く頂上に着きたい、そのことばかり。「これ位なら山にきたという気がしない」と誰かが言っているのが聞こえる。そんなことを耳にすると自分だけがこうなのかと思ってしまう。乱れてくる呼吸を気づかれまいと必死に押えることでいっぱい、話をすることも、まわりの花や澄んだ青空に感嘆する余裕などない。泥んこ道が多く、ズックの私はそれだけでもなかったらと何度思ったことでしょう。不安と淋しさの中で、もう二度と来るもんか、このホステリングが終ったらよそうと思うのでした。前の人との距離がだんだん離れていく。みん平静な顔で歩いていく。
「ゆっくり歩いたらいい。そして道が良くなってから急いで追いついたらいい。」と後から声をかけてくれた人がありました。その一言が私の心に余裕をもたらしてくれたのでした。緊張が一瞬にほぐれていくのを感じ、とっても嬉しかった。今までの不安がまるで嘘みたいに消え、身が軽くなったように思えたのでした。心から感謝しつつ振りかえった私の目に、その人の笑い顔とイワカガミの花がとびこんできたのです。「ありがとう」と心の中でつぶやいたっけ。この一言が私にホステリングを忘れさせなくなってしまったのです。もうよそうと思ったことも忘れて、ずっと続けてこれたことをしみじみ思う。
 その人は途中でグループを止めていったので、その人間味にふれた人は今はないのかも知れない。残念に思う。新しい部員の中には私のごとく全く経験のない人がいる。そんな時、暖かい言葉をかけてやりたい。言わなくとも何げなく示してやれるグループ員になりたいと新しいグループ員を迎える時、このホステリングを思いだしながら思うのでした。だがそれが本当に出来たかどうかは疑問です。今年も又多くの部員を迎えたことでしょう。多ければ多い程、経験のない人も多いのです。そんな時、あなたなりに心を開いてやって下さい。心と心のつながりを求めている私達、自からの手でそれをつかんでいくべきではないでしょうか?
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